親鸞は多くを語らない


最近の読書は

五木寛之の

「親鸞(上、下)」、「親鸞激動編(上、下)」





続いて

「蓮如」

にはまっておりました


原始仏教のヴィパッサナー瞑想はしているけど、

実家や我が家の宗派の「浄土真宗」について

何も知らなかった~。

史実通りでななく、あくまでも「五木寛之」の世界でしたが、

浄土真宗が世に広がるのに、

これほどのドラマがあったんですね。

親鸞はかなり行動的で信じられないような事件にも

遭遇していくのですが、

どれほど勉強して、どれほど苦行を積んでも

この物語の親鸞は多くを語らないんです。


もっと教えてほしい~と私も

本を読みながらつい思ってしまったけど。

そんな中で

親鸞の言葉

「目に見えないものを信じることはまことにむずかしい。 

今の私にわずかに分かっていることは

まことの信を得るために

自分自身を見つめることの大事さだ。

このわが身の愚かさ

弱さ、頼りなさ

それをとことんみつめて納得すること。

それができれば、

おのずと目に見えない大きな力に身をゆだねる気持ちも

おきてくるのではあるまいか。」
念仏とは何か、

”本当の信”とは何かをある少年から聞かれた時の言葉です。

他力の念仏も

自分を見つめることから

を抜きには始まらないってことでしょうか。

今度実家とか親戚で法事があって

「南無阿弥陀仏~」と唱えるとき、

ちょっと私の唱え方が変わってくるかな~


さ~、次は

最近”お腹マッサージ”の威力に魅せられているので

その関係の本を2冊読んでみます





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